■マルグリット・デュラスについて・・・

1915年。仏領インドシナ(南ベトナム)生まれの女流文学者、脚本家、映画監督。
18歳でフランスに帰国し、1940年代より作家活動をはじめ、「あつかましい人び
と」「モデラート・カンタービレ」でヌーヴォ・ロマンの代表作家としての地位を
確立する。
アラン・レネ監督の依頼をうけ「二十四時間の情事」のシナリオを書き下ろす。
66年には自ら映画製作、監督に乗り出す。これは“映画芸術の中に、独自の可能
性を探求するため”だった。
 84年ゴングール賞受賞作 の「愛人 ラ・マン」は世界各国でベストセラーとなり、
ジャン=ジャック・アノー(最近作にセブン・イヤーズ・イン・チベット、スターリン
グラード等)監督により映画化されヒットとなる。
87年にはジャン=リュック・ゴダール監督との対話が収録され、「勝手に逃げろ/
人生」「カルメンという名の女」「ゴダールの決別」などでデュラスへのシンパシ
ーを表明している。
 晩年はヤン・アンドレア(99年に東京日仏学院の招きで来日し講演を行った)と
の愛人関係を描いた「ヤン・アンドレア・シュタイナー」が強烈な印象を与える。
遺作「これで、おしまい」では、残された時間に一冊の本を書き上げるという作家
の最後の賭けを、彼女の孤独を共有しながら付き添い続けたヤン・アンドレアの協
力によって完成させる。

1996年3月3日、死去。

「アガタ」撮影中のマルグリット・デュラス
ノルマンディー 地方のトゥルーヴィルの海岸に建つオテル・デ・ロッシュ・ノワールは
「アガタ」「ガンジスの女」の舞台となった。彼女が敬愛するマルセル・プルースト
もかつてはこの豪華なホテルを訪れていたという。

「出来事が起こる場から送り返される“もうひとつの場”、
言い表せないような水平線によってかろうじて示される場がある。
私はそれを際限なき無限と呼んでいます。
このふたつの場の前には三人の人物、つまり男女の恋人と作家がいる。もうひとつの場、演劇性の場は私たち
三人と同じくらい遠くにある。なにものも寄せ付けない神格化された場のように」 (Duras a montreal p74)

舞台となった広間には壁一面の鏡が張られている。
ビュル・オジェが鏡を見つめると、そこには彼女の姿とそれを撮影するキャメラが映る。
歩き出す彼女。ゆっくりと移動しながら彼女を追うキャメラ。
すべての同一性に対して投げかけられる疑問。 差異と存在に対する罠・・・。

                     

Agatha ou Les Lectures illimitees
トップページへ戻る 「マルグリット・デュラスのアガタ」とは・・・
Information お問い合わせ

(c)JVD このページの写真・テキストは無断でご使用になれません。